マガキ幼生の付着はコントロールできるか?
当時(1990年代初期),広島水試の三倍体マガキ種苗の量産技術開発担当チームでは,マガキ幼生の付着をコントロールするために,水温や流れなど物理的な条件の調整を行っていました。30℃くらいまで水温を上げると付着数が増加,水槽に流れを作ることである程度付着数が均質化する傾向がありました。しかし,海域で天然採苗したホタテ殻の付着状況にはほど遠い状況で,一部のホタテ殻にだけ集中して付着する傾向が依然として顕著でした。海域での天然採苗の場合,マガキ稚貝はホタテ殻に「整然と」付着しているのです。
ホタテ殻を筏から垂下するいわゆる筏式垂下養殖が主流の広島県において,速やかに三倍体マガキを普及拡大するにはホタテ殻への採苗の成否は重要な課題でした。
物理的なアプローチには少し限界を感じましたので,海の付着生物に関するいろいろな過去の知見を調べてみました。海産生物の付着という問題は,水産の問題だけでなく,船舶の底,さらに海の構造物や発電所の冷却施設などへの海産生物の付着による汚れを防ぐという工学の面から多くの研究がされていることを知りました。勉強不足を痛感しました。厄介な海産付着生物としてマガキも例外ではありません,当時のマガキ幼生の付着に関する知見をまとめると
- マガキの殻や一度マガキが付着した基質に付着しやすい
- ある種の細菌が作るバイオフィルムが付着を誘引する
- 付着行動や変態に神経伝達物質が関与している
つまり,マガキは「群居性」を持ち,群れをなして付着して生息すること。その付着には「付着誘引物質」が関与しているが,「付着誘引物質」は特定されていないことがわかりました。
マガキ幼生の付着をコントロールするには,付着誘引物質を介した化学的な誘引効果を無視することはできないということです。
付着誘引効果を確認するための付着実験
マガキ幼生の付着誘引物質がまだ特定されていないということから,物質を特定することが重要なことは確かです。しかし,まず,残念ながら化学的な物質を扱うスキルがないことが第一です,次いで,当面の目標がマガキ幼生をホタテ殻に効率的に付着させ速やかに事業化を図ることであることから,付着誘引物質の特定を目指すのではなく,付着誘引効果を人工採苗の現場で応用するをことを目指すことにしました。よって,実験には現場で使っているホタテ殻をコレクターの材料として用いました。
白色のホタテ殻を四角く(4cmX5cm)同じ大きさに削り,煮沸,洗浄,さらにオーブンで加熱してほとんどの有機物を除去しました。これらのコレクターは付着実験に使用する前に,ろ過海水に浸漬したものを対照区,様々な物質を入れたろ過海水にコレクターを浸漬したものを実験区として処理を行いました。小型水槽に人工飼育した付着期マガキ幼生と様々な処理を施したコレクターを同時に入れ,マガキ幼生の付着数を比較,つまりマガキ幼生に付着する先を選択してもらうわけです。
付着実験からわかったこと
最初の付着実験をセットした翌日にコレクターを見た時,想像以上に一部のコレクターに集中して付着していたのでとても驚いたことを今でも覚えています。実験設定から考えると,マガキ幼生は水槽内を遊泳して複数のコレクターの中から特定のコレクターを的確に選んで付着変態したということです。
いろいろな条件で前処理したコレクターを使って実験した結果,次のことがわかりました。
- マガキ成貝飼育海水での前処理効果が高い
- 誘引効果は貝の軟体部に起因する
- 貝の個体数の増加,処理期間の延長で誘引効果が増す
- 乾燥や熱処理で誘引効果が減少する
- ムラサキイガイ,イタヤガイ等他の貝類では誘引効果がほとんどない
マガキ幼生は同種の成貝が放出する何らかの付着誘引物質を識別して付着変態することがわかりました。マガキ稚貝のホタテ殻への付着状況を見たところ,ホタテ殻の溝に沿って付着するなど天然採苗の場合の様子によく似ていました。
種苗生産工程への組み込み
天然採苗で実際に使われるホタテ殻のコレクターを使った,タンク規模の確認実験も行い,これらの実験結果に基づいて,採苗工程の前にコレクターをマガキ成貝と同居させる工程を組み込むことを提案しました。複雑な機器や薬品を必要とすることなく,海水タンクと成貝があれば実施できることからコレクターの前処理工程が種苗生産工程に組み込まれました。この結果,人工採苗に要する時間が最短では数時間,長くても翌日に完了と短縮されました。さらに,投入したホタテ殻の付着稚貝数が均質化することでホタテ殻単位の種苗としての歩留まりが向上しました。
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